万世一系と王朝交代説を考えるにょ

日本国紀:陛下は神武天皇の子孫でないのか①

 百田尚樹『日本国紀』に継体天皇が王朝交代をしたような記述があるのに、八幡和郎が万世一系を否定する材料はないということを書いてるにょ。
 どっちもどっちなのであすか的にはどうでもいい話なんだけど、話のネタとして考えて見るにょ。

 万世一系というのは物語にょ。皇室の始まりが神話まで遡る歴史書でしか伝えられない日本にとって、それを科学的事実だとして肯定する材料も、歴史を書いた時代の朝廷が作った虚偽だという材料もどこにもないにょ。
 そもそも日本の歴史がどこから始まるかによって万世一系も王朝交代も意味が違ってくるにょ。神武東征以前に大和を支配していたという長髄彦が実質的な王朝を築いていたとしたら、神武天皇の即位は王朝交代以外の何者でもないにょ。
 万世一系も王朝交代も、記紀に記された物語の定義や解釈の問題以外の何者でもないということだにょ。

 そういう前提に立った場合、記紀を作った人々が「あるべき姿」として認識していたのは王朝交代のない万世一系だろうと思えるにょ。したがって記紀には歴史事件としての明確な王朝交代は記されていないにょ。現在の天皇は始祖である神武天皇に遡れるように記されてるにょ。ただし、その記述が歴史的事実なのか単なる帳尻合わせなのかというの別の問題にょ。

 古代の王朝交代というと多く語られるのは崇神天皇、応神天皇、継体天皇だにょ。
 崇神天皇の場合は和風諡号「はつくにしらししみまきのすめらみこと」の「はつくにしらしし」が神武天皇の「はつくにしらすすめらみこと」の「はつくにしらす」との共通性(初めて国を治めたという意味)、漢風諡号に「神」が付いている(他には神武、神功皇后、応神のみ)、神武以外の先祖が「欠史八代」という事績の記録が残っていない天皇しかいないという点から、王朝交代というよりも事実上の初代天皇とみなされることが多いにょ。
 ただし、漢風諡号は「日本書紀」より後に淡海三船によって付けられたものだから、記紀の書かれた時代には存在していないことに注意が必要だにょ。(なので、本来の記紀には神武天皇とか崇神天皇とかいう記述はない)

 応神天皇はその誕生からしてミステリアスだにょ。新羅征伐の神託を受けた仲哀天皇がそれに従わなかったために神罰を受けて怪死、妊娠中の神功皇后は代わって新羅を討伐し、帰国後に応神天皇を出産。大和にいた応神の異母兄2人が皇位継承を巡ってこれを迎え撃とうとして争ったにょ。
 神功皇后が新羅を討伐したのじゃなく、新羅からやってきて仲哀天皇を殺害し、その皇子たちを滅ぼして自分の息子の応神を天皇にしたとするなら、これは明らかな王朝交代だにょ。これは一世を風靡した騎馬民族征服説と結びつけるのにも都合が良いので、王朝交替説では一番有力なポイントだにょ。

 継体天皇は応神天皇に比べたら地味な存在かにょ。日本史上で一番暴君として記録されてる武烈天皇が死んだ時に直系や近縁に後継者がいなかったので、ずっと先祖にさかのぼって応神天皇の子孫に当たる遠縁の継体天皇が迎えられたという話にょ。
 記録が文書として残されてる時代ならともかく、そうでない時代に100年以上も前に遡る出自に信憑性があるかどうかというのが論点だにょ。とはいえ、継体が即位から20年近くも大和に入ることが出来なかったとか、先代の武烈の暴君性があからさまに殷の紂王を意識したものだと考えると、記紀の執筆者が意図的に王朝交代を匂わせてるという可能性もあるにょ。
 とはいえ、初めて歴史の編纂が行われたという聖徳太子の時代の推古天皇の祖父にあたる人なので、さすがに当時としても記憶に新しい時代のことだからあからさまな嘘は書けないと思うにょ。
 殷周時代の中国の易姓革命を擬えたような武烈が暴君だったという記述は、何らかの事情によって武烈の直系や近縁に皇位を継承できなかったことに対する正当付けかもしれないにょ。

 八幡和郎は百田尚樹が確実視する継体天皇の王朝交代を否定する証拠として、武烈の死後に継体を迎える前に、応神天皇の先代である仲哀天皇の子孫を迎えようとしたという記録を挙げているにょ。そもそも仲哀と応神の間に王朝交代があったのなら応神の子孫である当時の王朝が、仲哀の子孫を後継者に迎えようとするはずがないということにょ。また、そのことが継体が正しく応神の子孫であって王朝交代が起こったのではないということらしいにょ。
 この八幡和郎の説は一見、もっともだと思えるにょ。ただし、継体の前に後継者として迎えようとしたとされる仲哀の子孫の倭彦王という人物が、そういうもっともらしい辻褄合わせのために創作された人物である可能性は「倭彦王」という無個性の一般名詞的な名前からしておおいにあるにょ。

 あすか個人としては継体が応神の子孫だということは割と信憑性が高いと思うにょ。何より推古天皇の祖父という(記紀のもととなった聖徳太子の歴史編纂から見て)時代の新しいものであるということと、あえて武烈を暴君として記録し、易姓革命を匂わせる部分があるというところにょ。万世一系の物語を紡ぎたいなら、武烈が暴君だとかいう(朝廷のマイナスイメージになるような)記述は要らないにょ。
 今で言う分家による本家の乗っ取りというようなことは起こったのかも知れないけど、記紀の論理ではそれは王朝交代ではないということだにょ。歴史を下って、天智天皇の子孫と天武天皇の子孫による皇位の奪い合いとか、南北朝合一後に南朝が根絶やしにされても、それらを王朝交代とされていない以上、これは万世一系の範囲内ということだにょ。

 ただし、応神の時代に王朝交代があった可能性は非常に高いと思われるにょ。
 歴史の編纂が始まったとされる聖徳太子の時代の推古天皇から、日本書紀が完成した元正天皇(の孫の孝謙天皇)の時代まで、女性天皇が非常に集中している時代だにょ。つまり記紀は女性天皇が普通にいた(というより男性天皇より多い)時代に作られた歴史書なので、その内容に影響を受けているのは当然だと思うにょ。
 翻って記紀を読んだ時に女性の存在を強く感じるのは(推古とか皇極とか持統という実在の天皇の記述を除けば)皇祖神である天照大神と神功皇后の存在だにょ。当時の女性天皇の存在価値からしたら、神武天皇の母親あたりにそのような存在がいてもおかしくはないのだけど、神武の前後には(お伽噺的な神話伝説的存在を除けば)政治的リアリティのある女性は存在しないにょ。
 神話と歴史の接合点にいる神武天皇からは、皇祖神の天照大神はそんなには遠くはないけど、記紀の記述は神話時代と歴史時代で明確に区別されているので、神武天皇と天照大神には直接的な関係はないにょ。
 なので、神功皇后の存在というのは記紀において非常に際立ってるにょ。

 さて、当時の女性天皇は概ね、然るべき男子の後継者が若年である時に中継ぎ的な役割を担っていたとされるにょ。そして、それを象徴的に描いたのが神功皇后だにょ。事実、現在では歴代天皇には数えられていないけど、記紀の当時は神功皇后は天皇として扱われていたにょ。
 つまり、仲哀の正統後継者である応神が成長するまでの中継ぎを担ったのが神功皇后ということを強く印象づけることで、現在(当時)の女性天皇の存在の理由付けをしてるにょ。この点を見れば仲哀と応神の間に王朝交代はなかったという八幡和郎の主張は間違っていないにょ。仲哀と応神の間に王朝交代があったのなら女性天皇の正当化には使えないにょ。

 ただし、これは仲哀を前の王朝の最後の天皇と考えた場合にょ。あすかはそうじゃなく、王朝交代は1代前、成務と仲哀の間で起こってると考えるにょ。その根拠は仲哀の父とされる日本武尊の存在だにょ。
 古代日本の建国期における悲劇の英雄とされる日本武尊だけど、その事績は単独の皇子ではなく、多くの無名の英雄の象徴的存在として描かれたとされているにょ。しかし、もしそうなら日本武尊はなぜ仲哀の父に設定されているのだろうかにょ?
 もし皇室が万世一系なら、建国期の英雄はもっと以前の時代に設定されていておかしくないにょ。それこそ欠史八代の時代に設定されてておかしくないにょ。もし崇神が初代なら、建国期の遠征事業が景行と日本武尊の時代に集中しすぎてるにょ。
 つまり、日本武尊は成務以前の、神武王朝や崇神王朝とは別個の王朝の建国期の英雄として描かれてると考えたほうが自然だにょ。

 おそらく応神の先祖は神武王朝や崇神王朝の下で働く武人だったんだろうにょ。朝廷の下で実際の軍務を担って版図を広げてきた事績が日本武尊の事績としてまとめられてるんだろうにょ。応神の父である仲哀はその武人集団の長であり、権勢の強かった景行の後を継いだ成務が凡愚で人望を失っていくのにつれて、新たな指導者になるべく決起を求められるも、それに踏み切れないまま朝廷の命ずる熊襲討伐の最中に急死したにょ。
 幼い応神は武人集団に祭り上げられるままクーデターの首謀者になって政権を乗っ取り、やがて成長して新しい王朝を開始したにょ。周の武王が父親を文王とし、魏の曹丕が曹操を武帝としたように、応神は父親の仲哀を王朝の初代に置いたにょ。

 つまり、日本武尊は応神王朝の先祖の事績を象徴した英雄であり、実質的な王朝の初代である応神は父親や先祖の偉業を偲ぶために仲哀を名目的な初代に置いたにょ。そして歴史の綴られる後世の女性天皇の時代なって、女性天皇の正当化のために神功皇后が生み出されたにょ。

 ……というのはあくまで個人的な思索の遊びの産物だけど、王朝交替説としてはあながち悪くはないと思うにょ。記紀の成立した時代背景、日本武尊と神功皇后の存在というのはそれなりに考慮がなされるべきものだと思うにょ。

日本国紀
幻冬舎
2018-11-12
百田 尚樹


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