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結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)
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日記というか、雑文の吐き溜め場所かにょ。電波の度合いは0から∞まで様々にょ。意味不明とか気にしたら負けにょ。
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教育勅語を現代語訳してみたにょ

2018/10/11 17:46
 定期的にポリティカルコレクトを弁えてない無能政治家が不用意に口にし、アホウヨ明治原理主義者たちが手放しに賞賛し、アホサヨ反日活動家が脊髄反射的に罵り叫ぶ話題の一つが、この教育勅語にょ。
 あすかは教育勅語そのものには何の感情も抱いていないので、歴史の資料程度なら学校教育で触れるのには何の問題も無いと思うけど、これをそのまま道徳の教材に使うと言えば、そりゃちょっと待てとしか言えないにょ。

 まず、教育勅語が作られた時代と現代とじゃ社会背景が違うし、道徳に求められているものも違うにょ。そもそも(戦前は道徳教育に使われていたとはいえ)教育勅語そのものが道徳の教材として作られているようにも思えないからにょ。

 で、教育勅語の中身ってどんなものかってのを色眼鏡付けずに原文から現代語に訳してみたにょ。
 日本語の文章は文語表現とか大和言葉主体のかな文字表現とかで修飾表現がいろいろ違ったりするけど、江戸時代半ばから現代まで基本的なところはほとんど変わってないから、普通に読めば普通に意味がわかるにょ。

 私天皇が考えますところ、皇室の祖先が国を作り上げていくにあたって深く心がけていたのは、世の中に広く徳を行き渡らせることでした。
 臣民の皆が天皇によく忠義心を持ち、父祖に孝行心を持つことで、たくさんの心を一つにして代々美徳を持って過ごしてきたこと、これこそが日本の国の形の真髄であり、教育の目指すべきものがここに在るのだと思います。
 あなたたち臣民は両親を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は互いに仲睦まじく、友人を信じ合い、慎ましくして利己心を抑え、博愛の心を周囲に向け、教養を学び、技能を身に付け、それをもって知能を高め、徳を修め、率先して公益に尽くし、社会のための仕事を成し、常に憲法を尊重して国法に従い、国家の急務に際しては義勇心を持って、未来永劫続くこの国のために天皇を手助けしてください。
 このようなことを成し得た人は、その人ひとりが私の忠義な良き臣民であるのみではなく、あなたを育てた祖先の遺風をも顕彰するに値することです。

 こういう臣民の在り方は、まさに皇室の祖先の残された訓えであり、その子孫である私が臣民であるあなたたちと一緒になって遵守していくべきところです。
 このことを歴史を顧みて誤ることなく、これを場所を問わずきちんと実施し、私はあなたたち臣民とともに常に胸に刻みつけ、皆が徳によって一丸とならんことを真に願っています。

明治23年(西暦1890年)10月30日
睦仁(天皇御璽)


 これは何かというと、大日本帝国憲法の発布に合わせて(外見の基本規定である憲法とは別に)国民の内面的な心掛けの在り方を、こうあってほしいと教育にかこつけて語ったものだにょ。
 この時点で具体的に、これを暗記させて道徳教育に利用しようなんてことは端っから考えられてなく、どちらかというと、全国民に語りかけた上で、学校教育や家庭教育をする立場の人が考慮してほしいって感じにょ。
 はっきりいって、安直に生徒にこれを暗記させてる時点で、学校側の手抜きに他ならないし、教育勅語の目的そのものが失われてしまってるにょ。いつの世の中も下っ端官僚はアホで使い物にならないにょ。

 そもそも暗記を目的にしたものなら、誰だって箇条書きでもっと韻律を配慮した文章を作るにょ。例えば五箇条の御誓文みたいに。はっきり言って、こんな練れてない文章を暗記させられるのは苦痛でしかなく、意味まで頭に入らないにょ。

 じゃ、この教育勅語って何のために作られたのかというと、西洋におけるキリスト教的倫理観と同等のものを日本の国民に持ってもらうためだにょ。
 明治政府は近代化のために西洋のいろんな制度を導入して日本の近代国家を作り上げていったけど、その最終的な仕上げというのが明治憲法の発布だにょ。明治憲法にはドイツのビスマルク憲法が大きな影響を与えたと言われてるけど、ドイツに限らず西洋諸国の憲法の前提にはキリスト教的倫理観というものが不文律として存在してるにょ。ところが、キリスト教の伝統のない日本で明文化されただけの憲法を導入しても、それは絵に描いた餅で、実効性が伴わないことが危惧されたにょ。
 そこで、明治の元老はキリスト教的倫理観と同等のものを日本の国民に身につけさせるため、儒教的要素を取り入れた教育勅語を作ったのだにょ。
 だから、これは道徳教育の基本方針であって、けっして具体的な教材なんかではないにょ。だから、エッセイに近いような天皇の感想的な文章で綴られてるにょ。

 本来ならこの教育勅語をもとに、日本人にとってふさわしい道徳(倫理観)というものをきちんと研究して、そこから具体的な道徳教材を作るべきものなのに、その手間を省いて安直に暗記させることに終始したりなんかするから、昭和になる頃には中途半端な倫理観しか持たない連中が国家の高官に集まってしまって、負けがわかってる戦争にみすみす飛び込むというマヌケなことをやらかしてしまったのだろうにょ。

 あと、原文に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分があって、よく「国家の危機の際には天皇のために戦って死ね」とか解釈されるんだけど、これはそこまで直接的なもの云いじゃなく、「緊急事態のときには私事よりも国家のことを優先して助けてほしい」という程度の意味じゃないかと思うにょ。
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酒呑童子伝説のスピンオフ ― なぜ誰も『金太郎』の物語を知らないのかにょ?

2018/08/19 20:34
 ネットに次のような記事があったにょ。
「人魚姫」は最後どうなるか知っていますか? 意外と知らない昔話や童話のオチ - ねとらぼ

 この手の昔話や童話の知識の有無をネタにする記事が定期的に出てくるけど、定番的に誰も知らないのが『金太郎』だにょ。
 一口に昔話や童話と言っても、その種類にはいろいろあるにょ。

 まずは『イソップ寓話』みたいな古典説話。記事で触れられてる中では『ウサギとカメ』がこれに当たるにょ。個々の物語は昔からの言い伝えであったり、誰かが子供に言い聞かせるために考えられたものだったり、由来は様々だろうけど、古い時期に子供の道徳的教育の材料としてまとめられたものがそのまま伝わってるものだにょ。
 これはその話の材料が、寓話の目的である道徳的意味合いと深く関わっているから、けっして内容が変えられたるすることはないにょ。『イソップ寓話』は古代ギリシャ時代のアイソポスという人がまとめたとされるほぼそのままの形で今に残ってるにょ。

 次に『アンデルセン童話』のような近代以降の創作童話だにょ。記事で触れられてる中では『人魚姫』がデンマークの童話作家アンデルセンによって創作されたものだにょ。これは童話云々以前に作家の作品として(作品の同一性など保証する)著作者人格権が尊重されるべきものなので、すでに著作権保護期間が切れた作家の作品といえども、用意に改変されたりしないにょ。

 そんなわけで、『イソップ寓話』や『アンデルセン童話』のような作品は物語の形が固定化されて存在しているので、その物語を知ってる限りは、その結末は固定されたイメージでしっかりと記憶されるにょ。

 さて、昔話や童話には上記とは違うタイプのものも多いにょ。それは、昔から口碑伝承として伝えられて来たものが、何らかのタイミングで文章にまとめ上げられ、定型化した物語として流布されるようになったものだにょ。代表的なものはドイツの民話をまとめた『グリム童話集』とか、日本の伝承を集めた中世の『御伽草子』とかに集められた物語だにょ。
 記事で触れられてる中では『舌切り雀』がこれに当たるかにょ。『舌切り雀』の物語自体は『御伽草子』より古く『宇治拾遺物語』に収められた説話「腰折雀」に由来するようで、今のようにお土産の葛籠を貰うという形になったのは江戸時代以降のようだけどにょ。『宇治拾遺物語』は説話文学と言って、仏教関係で教えの摂理をわかりやすくするために集められた物語だから、本来の目的で言えば『イソップ寓話』に近いものがあるのかもしれないけど、そういった目的は失われて説話の中身だけが残ったものだろうにょ。
 このタイプの昔話とか童話は、元が口碑伝承の収集であるから、作者が判明してるようなものはほとんどなく、著作権とかは関係ないし、そもそも収集された文献の成立年代が古ければ古いほど、再び口碑伝承化していってしまうものも多いため、時代の変遷や語り部によって様々にバリエーションが生まれてくるにょ。
 それでも、『ペロー童話集』みたいな後世に非常に影響を与えるような決定的な文献としてまとめられたものは、そこに記された物語が定型的な形として残されるにょ。(例えば『シンデレラ』の物語は後にグリム兄弟がドイツで同様の伝承を採集しているけど、現在の『シンデレラ』のイメージは概ね『ペロー童話集』のものだにょ)
 日本の昔話の場合、『御伽草子』自体も時代時代によって書き換えられてるため、明治以降に国定教科書や児童向け書籍としてまとめられたものの影響が大きいにょ。

 ところで、『金太郎』の物語はこれまでに述べた3つの、どのタイプに当たるだろうかにょ?

 結論を言えば、どれにも当てはまらないにょ。そもそも昔話や童話として定着する以前の存在でしかないにょ。
 この『金太郎』の物語は何かと言うと大江山酒呑童子伝説のスピンオフ作品だにょ。

 たいていの人は『金太郎』というと「まさかりを担いで」とか「クマと相撲」というイメージがあると思うけど、これは明治に作られた童謡の『金太郎』のイメージだろうにょ。で、この童謡の『金太郎』はその足柄山でクマと相撲してる金太郎を歌ってはいるけど、それ以外の物語は歌っていないにょ。つまり童謡しかしらない人にとって、『金太郎』とはその部分の存在でしかないということだにょ。
 そりゃ、金太郎が坂田金時という人物の幼名だという知識があって、そこから源頼光や酒天童子に行き着く人も多いだろうけど、そこから金太郎の物語がどんなものかを想像できる人はいないと思うにょ。

 この『ねとらぼ』の元記事を書いた人はネットで検索したりして明治なり戦前に子供向けに書かれた『金太郎』の物語を他の昔話や童話の物語と同様だと思ってるんだろうけど、普通に読めば違いがあるとわかると思うにょ。
 Wikipediaの『金太郎』の項目にリンクされてる『青空文庫』の『金太郎』は、楠山正雄という人が大正年間に出した『日本童話宝玉集』(の一部を再収録した講談社学術文庫の『日本の神話と十大昔話』)に収められてるものだにょ。
 ここに収められてる『金太郎』の物語は、クマと相撲して力を鍛えた金太郎が源頼光の家臣の碓井貞光の目に止まり、都に行って頼光の家臣の四天王の一人になったというお話にょ。他の昔話と比べると大きく違うのは、ラストに実在の人物の名がゾロゾロと挙げられて、金太郎との関係性の説明に終わってるところにょ。

 昔話とか童話というのは基本的に「いつ」という時代性や「誰が」という具体的個人性が曖昧に抽象化されているものだにょ。そうでない、時代や人物が具体的だけど物語そのものに信憑性がない言い伝えは「伝説」と呼ばれるにょ。つまり、『金太郎』の物語は昔話や童話ではなく「伝説」の範疇に含められるものということにょ。
 まあ「伝説」に含められる物語であっても、そういう具体的情報を失って抽象化され、昔話になっていくものもあるにょ。『浦島太郎』の物語も『日本書紀』が編纂された頃にはまだ具体的な年月が語られる「伝説」だったみたいだにょ。

 そんなわけで、『金太郎』の物語は大江山の酒天童子伝説で頼光の家臣として活躍する坂田金時の由来を語ったスピンオフの「伝説」ということだにょ。源頼光というのは清和天皇の孫で清和源氏の祖とされる経基王の孫に当たる実在の人物であり、頼光四天王の他の3人も実在したらしいけど、坂田金時は伝説上だけの架空の人物らしいにょ。架空の人物だからこそ、その由来がスピンオフで語られるようになったのだろうにょ。

 頼光四天王としての坂田金時の存在が語られるようになったのは早く、頼光の時代から100年後ぐらいからみたいだけど、スピンオフとしての金太郎の物語は江戸時代になってからみたいだにょ。
 戦乱の時代が終わって平和になった江戸時代、武家の家庭で子供に武芸の鍛錬に興味をもたせるために語られ始めたのが最初で、歌舞伎や浄瑠璃で頼光四天王の物語が広く知られるようになってから庶民に広まっていったのかにょ。ま、この金太郎の物語は頼光四天王の知識がないと意味不明で終わってしまうからにょ。
 富国強兵を目指す明治〜戦前の社会でも、その金太郎のイメージは重宝されただろうにょ。童謡の『金太郎』はその時代の産物だけど、この歌だけでは金太郎の物語はわからないにょ。背景に「伝説」を元にした物語(楠山正雄の『金太郎』のようなもの)の知識が広まっていたことが前提のはずにょ。

 auのCMの三太郎のように『金太郎』が『桃太郎』『浦島太郎』と並べられる存在として扱われるのは、このような戦前の『金太郎』の記憶に基づくものだろうにょ。
 しかし、現在では『金太郎』の物語は知られていないにょ。キャラクターじゃなく昔話としての知名度から三太郎を選ぼうとしたら、『金太郎』じゃなくて『三年寝太郎』が入ると思うのは、単に現代人が怠惰でグウタラだからではないだろうにょ。

 なぜ『金太郎』の物語が知られていないかというと、それは戦後、家庭でも学校(幼稚園)でも『金太郎』の物語が語られなくなったからだにょ。戦前、『金太郎』に期待されていた富国強兵の象徴としてのキャラクターは戦後の平和教育にはそぐわなくなったにょ。
 それだけなら『桃太郎』も同じ運命を辿りそうだけど、決定的な違いは『桃太郎』がすでに昔話として完成した独立した物語であるのに比べ、『金太郎』は酒呑童子伝説のスピンオフとしての「伝説」の域を脱しきれてなく、これを語るためには酒呑童子伝説の本体をも語らなければいけないという面倒臭さがあるにょ。また「伝説」であるが故の実在人物の登場によるリアル性が敬遠される要因だったかもしれないにょ。

 しかし、なぜか戦後も童謡の『金太郎』だけは残ってしまって、戦後生まれの日本人が『金太郎』として触れる物語は、この童謡の歌詞だけになってしまったにょ。確かにクマと相撲するだけで終止する物語なら「伝説」としてのリアリティもないし、富国強兵にも結びつかないだろうから、この童謡を意図的に排除する意味はなかったのだろうにょ。

 ……とか書いてるとアホウヨ明治原理主義者たちが「正しい日本のために『金太郎』の物語をちゃんと教えろ」とか言い出しそうな気がするけど、そんなものは自然に任せればいいだけの話にょ。日本人に本当に必要な物語なら、「伝説」的なリアリティを削ぎ落とされ、単独の物語として洗練された「昔話」として生まれ変わり、『桃太郎』のような超メジャーな存在ではなくてもそれなりに生き残っていくはずだにょ。


金太郎
楠山 正雄
B009LSTR06

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楠山正雄 金太郎
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八幡和郎の難癖から江戸時代を弁護するにょ

2018/06/17 16:14
 八幡和郎という人がいるにょ。何者かはよく知らないけど、元官僚でアゴラにヨタ記事書いたり歴史関係の本(といっても学術書じゃなく一般向けの読み物)を出してるにょ。ま、神の啓示を受けて古代史の謎を解き明かしたり、歴史上の人物の子孫を名乗って歴史的大事件の真相をもっともらしく語ったりということをしてるわけじゃないので、ま、あまり胡散臭さはないにょ。
 とは言え、この人にはとりわけ顕著な偏向が見られるにょ。江戸時代をとことん貶して、明治を手放しに褒め称えるにょ。まるで明治維新を正当化するために江戸時代を完全否定した戦前の皇国歴史観そのものみたいだにょ。

 ま、この人の名前を知ったのは、ずっと前に戊辰戦争の際に全国の各藩はどうだったかというようなことを書いた本(『江戸三〇〇藩 最後の藩主 うちの殿様は何をした?』)を読んだときにょ。そういう視点で(全てではないにしろ)各地の大藩から小藩まで網羅的にまとめたようなものは読んだことがなかったから興味があったにょ。
 しかし、中身を読んで幻滅したにょ。そこにはただひたすら、薩長に付いた藩主は英邁、幕府側に付いた藩主は凡愚と、それだけで評価を決めつけてる文章が書いてるだけだったにょ。その他の藩政の事績とか藩主自身の人柄とか、まったく考慮はされないにょ。

 あすかも江戸時代が手放しで褒めるほど良い時代だったとは思わないし、(一般的に時代が下るにつれて社会は良くなっていくという当たり前のことから)全体的には江戸時代より明治のほうが良い時代だろうとは思うけど、かといって江戸時代が悪の権化のように全否定されるものかと言えば、大いに疑問を感じるにょ。

 その八幡和郎がまた江戸時代を一方的に貶す記事をアゴラに書いてるにょ。あまりに胸糞悪いから、あんな記事を盲信するリテラシーの低い読者がいてはいけないので、ここでツッコんでおくにょ。

江戸時代の不都合すぎる真実 ベスト10

@鎖国のせいで軍事力が低下し植民地にされかかった

 結果論に過ぎないということは言うまでもないにょ。西洋列強が軍事力を劇的に進化させたのは産業革命以降に過ぎないにょ。鎖国を始めた時点でそんなパラダイムシフトが起こるなんてことは世界中の誰も考えていなかったはず(レオナルド・ダ・ヴィンチあたりは予想してたかもしれないけど)にょ。
 産業革命が起こった後も蒸気船が実用的に地球規模的な交通手段として使われ始めるまでは、そういう文明の技術もそう簡単には伝達しないにょ。仮に鎖国してなかったところで、日本に産業革命が伝わる時期がそんなに早かったとは思えないにょ。幕府だってオランダからの情報で蒸気船等の知識はあったけど、現物の調達は早くてもペリー来航の10年以上前には不可能だろうにょ。
 なまじ、西洋の近代文明は19世紀中頃から飛躍的に進んでいくから、その最中の幕末開国の時点の文明差が極めて大きく見えるけど、時間的な差を捉えるとせいぜい数十年しか違わないというのは、岩倉遣欧使節が欧州で認識した通りだと思うにょ。

A科学技術も300年遅れたままだった

 産業革命以前の西洋だって科学技術がそんなに進歩していたわけではないにょ。そもそも西洋文明を一方的に基準にして遅れてる遅れてないという価値観自体が、西洋文明が世界中を覆い尽くした19世紀末か20世紀初頭以降のものだということを忘れてはいけないにょ。
 江戸時代の日本が、オランダからの情報でその知識を得ながらも、西洋的科学技術を盲信的に導入しなかったのは、東アジアにおいてそれが必要なかったからだにょ。必要になったのは、その科学技術で武装した西洋列強が東アジアに襲いかかってきたアヘン戦争とかペリー来航以降の話でしかないにょ。

B国民の大半は引っ越しも旅行も禁止の半奴隷状態だった

 こういうのを単純に比較するのは卑怯というものにょ。江戸時代は地方独立の封建制度であって住民統治は藩や所領毎に行われていたにょ。しかも統治者の経済基盤が土地から上がる収穫物なのだから、領民である農民に逃げられては困るので移動に制限を付けたにょ。
 一方、明治時代は中央集権の一括統治で、統治者の経済基盤は各戸に対する課税であって、その課税の元の所得の手段は何でも構わないから、税金を払ってる限り国内の移動は自由になったということだけだにょ。
 江戸時代は何も住人を虐げるために移動を制限していたというのではないにょ。

C女性差別と部落差別は江戸幕府が創り出した

 部落差別はさておき……
 幕府が朱子学を採用したから女性差別につながったとか言うのは何かの妄想ですかにょ? そりゃウーマンリブとか男女雇用機会均等法とかそういう時代の価値観から見ると、確かに男女の平等が確保されてるとはとうてい言えないとは思うけど、かといって当時の諸外国での男女差とか、あるいは歴史的なものを見ても、江戸時代だけ特筆的に男女差別が進展したとかいうような印象はどこにもないにょ。
 こういうのは歴史家気取りにありがちだけど、儒教に支配された中国や朝鮮がそうだから日本もそうに違いないという思い込みに過ぎないにょ。儒教が社会規範として機能した中国や朝鮮と違って、日本ではあくまで道徳の範疇にとどまってるにょ。ただ、一部の狂信者が水戸学を生んだり勤王の志士になったりして、幕末のテロリズムに走っていったのは確かだにょ。

D武士道は明治時代に新渡戸稲造が捏造した

 ま、これは概ねそのとおりだと思うけど、武士階級にもちゃんとノブレス・オブリージュとか意識してる層はある程度いて、そういう人材が幕末の困難期の日本を支えていたことも否定はできないと思うにょ。
 新渡戸の創作にしたってまったく種もないようなところから嘘をでっち上げたりするような見え透いたことは出来ないだろうにょ。

E教育レベルは低く識字率が高いというのも嘘

 江戸時代の識字率が過大評価というのはそのとおりかもしれないけど、ひらがなの識字率を漢字しか使えない中朝の識字率と比べて貶すのなら、26文字しかないラテン文字を使ってる西洋諸国と比べてどうなのかという点に触れないのはどうかと思うにょ。(欧米語は単語単位で覚えないと意味がないとかいう反論は無しだにょ。日本語だって単語の語彙がないと文章の読み書きはできないにょ)
 たいていの武士は九九が出来なかったとか言ってるけど、そりゃ必要がないだろうからにょ。逆に商人とかなら九九の出来ない連中など(丁稚とか除けば)いないだろうにょ。むしろ科学時代の現在の文系大卒でエリート気取りの連中が高校数学どころか中学レベルの数学すら出来てないことの方が大問題にょ。

F下級武士から上級武士になるのすら不可能に近かった

 ま、江戸時代は(というか、それ以前からずっと)「家」で格が決まっているのが日本の社会だからにょ。例外は下剋上の横行した戦国時代にょ。とはいえ、それは武士身分の中での話。朝廷から官位を貰おうとか思ったら家系図を捏造するとかして「家」の格を上げる必要があったにょ。
 八幡和郎が江戸時代(というか徳川家)を貶す代わりに持ち上げてる豊臣秀吉だって、木下藤吉郎とか羽柴秀吉のままだったら関白にはなれてないにょ。あれは摂関家の近衛前久の猶子となることで「近衛家」の人間として関白になれたにょ。
 つまりは、自分の「家」の格を上げることは不可能だったけど、養子などの手段で格上の「家」に変わることは江戸時代だって(日常茶飯事的ではないにしても)普通に行われていたにょ。

G北朝鮮なみに禿げ山だらけで環境先進国は嘘

 人里近くの山がほぼ針葉樹の人工林だらけなのを見れば天然の山を保持してきたわけではないのは確かだと思うけど、いくらなんでも紀伊半島とか奥飛騨や信州の山奥まで禿山だらけってことはないと思うにょ。
 ただ、本当に禿山だらけだったら短期間で森林が復活するとは思えないにょ。江戸時代に禿山だった場所って、明治以降に開発されて、今じゃ住宅地とかに変わってるんじゃないのかにょ?

H北朝鮮と同じように餓死者が続出

 これも比較が卑怯。まず江戸時代は鎖国もあるけど、それより運搬手段が未発達だし、世界中でも食糧余りの場所なんてほとんどないから、飢餓が起こったからって食糧を輸入して対応するとかいうことは無理にょ。金正恩がその気になればいくらでも援助を受けられる現在の北朝鮮とは違うにょ。
 まず現在のレベルの運搬業の基盤が出来たのは蒸気船が世界中に航行できるようになった19世紀半ば(幕末開国の直前)というのは理解しないといけないにょ。さらに飢餓の原因も北朝鮮のような自然破壊が原因の恒常的なものじゃなくって、純粋に自然現象や気候変動による天候不良によるものだから予防のしようがないにょ。

 あと、卑怯なのは江戸時代だけ切り取って悪し様に罵ってること。江戸時代に多くの犠牲者が記録されてるのは、それは統治者がちゃんと災害を把握して被害を調べてるからにょ。それ以前の時代は庶民が飢餓に苦しもうが統治者は関知せずに放置とかだったから、大雑把な被害が伝聞で書かれたりしても、統治者自身による詳細な調査記録は残らないにょ。律令制の当初は朝廷が全国の領民を支配する建前だから、ある程度の状況は把握してたかもしれないけど、荘園制の発生によって律令制が形骸化すると中央の朝廷や貴族は庶民のことは何も考えなくなったにょ。ま、それが武士が誕生する要因の一つだけどにょ。
 江戸時代だって初期の飢饉については幕府も何も手の打ちようが無かったけど、幕末の天保の大飢饉の頃になるとある程度の備えで多少は対応できるようにはなってるにょ。
 明治以降に顕著な飢餓が発生してないのは、世界的な海運網の成立で食糧輸入が可能になったのが大きいのと、あとはハワイやブラジルへの移民政策で国内の口減らしが出来たからだにょ。

I裁判や警察制度が不十分で切り捨て御免も伝説ではないし、サドマゾ刑罰に拷問もやり放題

 そりゃそもそも西洋の制度を持ち込んだ明治以降の警察や裁判制度と江戸時代以前のそれらの制度は根本的に基本理念が違う別物なのだから単純に比較してはいけないにょ。
 武士というのは古代の律令制度の崩壊で警察制度や裁判制度が機能しなくなったから、それを代行するために自然発生的に生まれてきたものだにょ。つまり、大雑把に言えば本来は武士そのものが警察官や裁判官の代わりということにょ。
 武士の権限が肥大化して行政全般にまで及ぶようになると、警察や裁判に関わる武士というのは限られてきたわけだけど、基本的に武士はそういう調停側の立場にあるというのが武家統治社会の建前だにょ。
 あと、明治のドイツ式司法制度のような何でもかんでもガチガチに法律で決めてあるなんてことはないから、裁判の結果は奉行なり代官のその場の判断に委ねられる部分が大きい。そりゃ近代的な司法制度から見ると野蛮に見えるかもしれないけど、その場の空気を読んで判決を下すというのは日本的な社会には不都合がないにょ。問題になるのは空気を読まない判決が出たときだろうにょ。

 斬り捨て御免はどうかにょ。江戸時代の初期には大名の取り潰しの理由に挙げられたりしてるし、徳川綱吉が生類憐れみの令を出したのは、そういう戦国時代からの機運を一掃しようというのが目的だったと言われてるから、戦国時代から間もない頃はそれなりにあったのだろうとは思うにょ。
 ただ、江戸時代が下るに連れて貨幣経済が支配的になり庶民文化が発展してくると相対的に武士の立場が弱くなってくるので、そうおいそれとは斬り捨て御免など出来なくなってくるにょ。だいたい、太刀の鞘の中が竹光とかだったら、いくら相手が無礼でも抜くに抜けないのも確かだにょ。
 ま、社会がきな臭く物騒になって、それこそ庶民が斬り捨て御免の危険を感じざるを得なくなったのは、幕末に薩長のテロリストが徘徊するようになってからじゃないのかにょ。


 人類社会の歴史というのは制度的改善の歴史であるから、前の時代より後の時代のほうが良くなっているというのはある意味当然のことにょ。しかし、前の時代のほうが劣っているのは(観念や知識や技術、その他いろいろな環境要因がその段階にまで至っていないという)時代的制約によるものも大きいという理解が必要だにょ。
 ただただ後世の感覚だけで過去を悪し様に罵るというのは、祖先の墓を土足で踏みにじるようなものだにょ。

 それでも無条件に江戸時代は最悪で明治時代は最高とかいうのなら、ひとつ言っておくにょ。江戸時代の庶民は事件にでも遭わない限り、ほとんどの人が一生の間に武器を使ったり他人を殺傷することとは無関係だったにょ。しかし、明治になって徴兵制度が出来ると健康な男子は徴兵され、戦争が起これば否応なく敵の兵士に対して武器を使って殺傷することが強要されるようになったにょ。これが手放しで褒め称えられるようなことですかにょ?

 この八幡和郎という人はどうして江戸時代を貶し明治ばかり褒めそやすのだろうかにょ? ネトウヨだとか勤王家だとかいうのとはぜんぜん違うと思うにょ。
 おそらく東大卒のエリート官僚とかいう本人が一番自慢してる「権威」の由来が明治維新で成立した近代の官僚制度であるから、その「権威」を維持するためには明治維新が何ら欠陥のない素晴らしいものでなければならないと思ってるのだろうにょ。そのためには「江戸時代のほうが良かった」なんてことが一つたりとも有ってはいけないにょ。だから懸命に江戸時代を貶して否定し続けているのだろうかにょ。
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文系エリート様の統計記事を鵜呑みにしてはいけないにょ

2018/05/06 01:30
 数字があれば信憑性が高いと思ってるのか、何かと我田引水に都合の良い統計を持ち出してくるのは公務員の作文と文系バカエリート様のネット記事だにょ。
 ま、公務員の作文なんかは故意に結論を捻じ曲げるために意図的にやってるのがミエミエだからここでは論じないにょ。一方、文系エリート様のネット記事には意図的なものもあれば、そもそも統計の意味を理解していないからマヌケな結論に至ってるというものも多いにょ。

 今回取り上げる例も、故意にやってるなら相当にしたたかだと思うけど、多分に統計の意味を理解してないという可能性の方が遥かに高いと思うにょ。


   「両親の身長が高過ぎる」と心配している女の子へ


 記事では正規分布について触れた後で、日本人の身長の統計が正規分布であるという前提のもとで、極端に身長の高い人や低い人は極めて少なく、多くの人は平均値から標準偏差の範囲内に収まり、「平均値への回帰」があるから、両親の身長が高過ぎてもその娘はその標準偏差内に収まる可能性が高いとかいうようなことを言ってるにょ。
 ま、賢明な人にはこれだけでいろいろとツッコミどころがあることがわかると思うにょ。

 そもそも正規分布というのは、「サイコロを100回振って出た目の合計」とかいうように個々の目の出現確率がどんな場合でもイーブンで、目の合計というサンプル値が最終的な平均値付近でメジャー値を取る場合、そのサンプル値を1000回とか10000回とか数多く取った時に理想的に出現する統計傾向に過ぎないにょ。
 日本人の身長なんてものは平均値付近に収束することが科学的に保証されてるわけではなく、ただ、1億人ぐらいのサンプルと取ったらいろいろな個々の条件が相殺されてしまって、現象として正規分布に近いような統計結果になってるだけの話だにょ。
 つまり、身長の統計が正規分布を示しているとしても、それは日本全国のサンプルを集めた上での全体的な傾向を示しているだけであって、遺伝的に身長の高い一族とか逆に身長の低い一族が存在しないということを示してるわけではないにょ。

 文系の統計記事によく見られる誤解として、統計結果を確率的保証値と取り違えてることが多いけど、この記事の趣旨もそういう誤解から来てるところが大きいかにょ。統計結果はあくまで、サンプル集合が示す全体的傾向に過ぎないのであって、個々のサンプルの値として保証されてるものではないにょ。
 身長の統計で言えば、これは何の条件もなく単に日本人全体の身長を集めた全体の傾向を示してるだけであって、「両親の身長が高過ぎる」という条件を加味した場合のことなど何も示していないにょ。

 この統計結果としての傾向と保証値は違うということの一番わかり易い例は、スマホゲームとかのガチャの確率かにょ。あるレアなアイテムの出現確率が0.1%であるとした場合、1000回ガチャを回した人が1000人ぐらいいたら、統計的にはそのアイテムを1人1個獲得したというような結果になるだろうにょ。ただし、これは1000回ガチャを回せば誰でも必ず1個獲得できるというわけではないにょ。数個獲得できる人もいれば、獲得できない人もかなりの数いるだろうにょ。
 これを保証値とするためには、ガチャの有効回数を全1000回に固定し、その1000回中に必ずそのアイテムが出る仕掛けが必要だにょ。確率とか統計結果とかはあくまで傾向を示すだけであって、結果の保証にはそれなりの仕組みや理屈が必要だにょ。

 ここまで書けば「平均値への回帰」というのが意味不明というのがわかるだろうにょ。統計というのは全体傾向を示すだけであって、個々のサンプルに何か作用するものではないにょ。サンプルが数多くあれば、平均値に近いものが全体として多くなるというだけであって、特定の値を平均値に近付けるような現象はどこにも発生しないにょ。
 以上は単純に数学としての統計学の話だけど、人間の身長(それも統計平均とかじゃなく具体的個人の身長)とかいう話だと、統計なんかよりも遺伝子とか生活環境とかそんなものの影響の方が遙かに大きいのは自明だにょ。身長が高いのが優性遺伝であるなら、両親ともに高けりゃ娘が高くなる可能性は大きいだろうし、貧困で栄養失調を起こしてるような生活環境なら十分に成長できずに平均よりずっと低い身長になるかもしれないにょ。

  
高身長同士男女の子孫と低身長同士の男女の子孫に「平均値への回帰」が生じなければ、現代でも高身長族と低身長族に二分化しているはずだ。


 身長差による統計上の分化が生じていないというのは、確かに「平均値への回帰」というような現象が起きているのかもしれないけど、それは統計的作用ではないにょ。単に高い人同士や低い人同士の結婚だけで子孫が作られてるわけじゃなく、何十世代も経れば各世代の身長的特徴なんて誤差に過ぎなくなる程度のものでしか無いということを示してるだけだろうにょ。
 統計に精度を求めるには一定以上のサンプル数が必要なのと同様、遺伝的傾向を統計で語るにはそれなりの世代数を経た上でないと意味がないにょ。そして統計は傾向を示すだけで結果を保障するものではないにょ。何百年何千年とかいうスパンでの身長の統計傾向を(きちんとしたサンプルを示した上で)語るならともかく、「両親の身長が高過ぎる」という女の子個人の身長を語るには何の根拠にもならないにょ。

 ま、実際のところ身長が高いのが優性遺伝なのかどうかは知らないけど、統計とか持ち出してくるなら、「両親の身長が高過ぎる」という限定条件を踏まえた上での統計資料を持って語るくらいの誠意は示してほしいものだと思うにょ。
 ということで、統計を根拠として持ち出してる記事だからと鵜呑みにするようなことはやめたほうが良いということだにょ。

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再起動用プログラムランチャー『ResetLaunch』を使うにょ

2017/09/22 20:31
 先日、Vectorに『ResetLaunch』とかいう自作ソフトを登録したけど、説明文とか取扱説明書だけではちょっと使い方が分からないとか、多々あるとは思うにょ。そこで、ちょっとだけ使いかたのヒントになりそうなこととかを記しておくにょ?

1.『ResetLaunch』って何?

 ソフトの機能としては「再起動用プログラムランチャー」としてるにょ。一般的なプログラムランチャーというのは、よく使うアプリとかをメニューなり一覧形式にまとめて起動しやすいようにするようなソフトウェアかにょ。

 昔はメーカー製のPCを買ったら最初から独自のプログラムランチャーが組み込まれていて、素でOSの画面を立ち上げたい人には邪魔だとかいうことがよくあったにょ。今でもAndroidスマフォの一部にはそういうものが組み込まれている場合もあるにょ。
 そういう初心者向けにOSの画面を隠そうとか、OSの画面を回避してアプリだけ起動できるようにしようとかいうおせっかいなソフト以外にも、OSのメニュー画面とかの不便さを補う形で任意で呼び出せる形のプログラムランチャーとかはフリーソフトでたくさん出てるにょ。

 この『ResetLaunch』はそういう一般的なプログラムランチャーとは少し違うにょ。任意のアプリを登録して起動させる機能を持つという点では同じだけど、一般的なプログラムランチャーが「アプリを簡単に起動できる」ということを主目的にしているのとは違って、『ResetLaunch』の主目的はそうやって起動したアプリを「簡単に再起動できる」ということだにょ。


2.アプリの再起動って?

 別にアプリが常に正常に動いてくれていれば問題ないのだけど、世の中の多くのソフトはCPU速度や占有率・メモリ容量等のリソース面、オンメモリデータの肥大化、異常データの発生、アプリ自身の不具合やユーザーの誤操作などなど様々な原因で、期待しない動作を起こしたりフリーズして反応がなくなってしまう場合があるにょ。
 例えば、タブを開き過ぎたりクソ重いサイトを開いたりすると途端に固まってしまうブラウザソフト、クソ重たくてすぐにフリーズするオンラインゲームのクライアント、機能的には問題ないのだけどバグを取り切れていない開発中の自作ソフトとかかにょ。

 発生頻度が少なく、そんなに頻繁に使うことのないアプリならその都度タスクマネージャーを立ち上げて強制終了させ起動し直したり、ついでにPC自体を再起動させたりするのも手間ではないだろうけど、割とよく発生するのだけど常時使う必要があるアプリだとしたら、いちいちそんな手間を掛けるのは面倒だにょ。

 そこで、アプリの強制終了と起動のやり直しの手間を省くのが、この『ResetLaunch』だにょ。


3.使い方のヒント

 基本的な使用法は取扱説明書にあるので、その周辺的な使い方のヒントを幾つか記しておくにょ。

(1)スタートメニューへの登録

 Windows 10の場合、以下のフォルダにショートカットを置けばスタートメニューに登録されるにょ。

 C:\Users\(ユーザー名)\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\
 (ユーザー名)の部分はログイン時のユーザーアカウント名

 @エクスプローラーで「ResetLaunch.exe」を右クリックし、メニューから「ショートカットの作成」を選択
 A作成したショートカットをエクスプローラーで上記のフォルダ(またはその任意のサブフォルダ)に移動
 B必要に応じてショートカットの名前を変更(拡張子「.lnk」は変更しないこと)

 同様にスタートメニューから削除する場合は、このショートカットを削除すればOKだにょ。


(2)スタートアップへの登録

 スタートアップに登録すると、PCの起動時(自ユーザーアカウントでのログイン時)に自動的に『ResetLaunch』が起動するにょ。
(起動するのは『ResetLaunch』本体だけなので、登録されたアプリは手動で起動のこと)

 Windows 10の場合、以下のフォルダにショートカットを置けばスタートアップに登録されるにょ。(ショートカットの置き方はスタートメニューの場合と同様)


 C:\Users\(ユーザー名)\AppData\Roaming\Microsoft\Windows\Start Menu\Programs\Startup\
 (ユーザー名)の部分はログイン時のユーザーアカウント名


(3)使用中

 この『ResetLaunch』は起動したアプリのプロセス情報を保持して再起動(停止)を行うため、『ResetLaunch』自体を終了してしまうと機能しません。PC起動中(または完全に不要になるまで)は起動している必要があるにょ。
 そのため、ウインドウサイズは小さめに作って、他のソフトの操作の邪魔にならないようにしてあり、また誤動作防止用のキー設定の機能もあるにょ。とはいえ、そう頻繁に操作を行わないのであれば最小化を行い、必要な時はタスクバー上のアイコンから開くのがスマートかにょ。

 もっとも、Windowsのシステム自体の動作が不安定になってくると、真っ先にタスクバーが反応しなくなったりするので、そういう環境での使用を想定する場合は、開いたままになってたほうが安心かにょ。もっとも、そういう状況では『ResetLaunch』を含め、あらゆるソフトの動作自体が不安定になってるだろうから、システムそのものを再起動することを勧めるにょ。


(4)システム再起動

 動作設定の中に隠し機能みたいに付けてるものだけど、通常で使うようなことを想定してるわけではないにょ。タスクバーがフリーズしてスタートメニューが開かなくなったり、Ctrl+Alt+Delが効かなかったりして、どうしてもシャットダウン等の機能をソフト上から呼び出せなくなった時に、『ResetLaunch』が機能していれば使えるかなという程度のものかにょ。(そのような場合は、おそらく『ResetLaunch』も機能してないと思うけど)
 あくまで、「電源ボタン長押しでシャットダウン」に至る前の気休め程度のために付けてあるにょ。
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北朝鮮ミサイルの軌道の完全予測は不可能にょ

2017/09/22 01:43
 アベガーな皆さんは政府が「北朝鮮のミサイル発射は完全に把握していた」と言ったら、発射の直後にどこを通過するとか、どにに落下するとかが分かっているはずだとか、分かってないのは把握してないからだとか、足りない脳で思い込んでるみたいな感じだけど、ミサイルの発射を把握したって、それがどう飛んで行くかなんてことを完全に予測するためには、予めミサイルの詳細な仕様とかコンディションとか機器の信頼性とかのデータが必要だにょ。発射を確認したからって、どんなミサイルがどう発射されて、そのミサイル自体の信頼性がどうなのかわからなければ、大雑把な予想しか出来ないにょ。
 ま、信頼性とか言い出したらキリがないから、仮に仕様を完全に満たした性能を発揮できるとしても、それだけでは予測できないにょ。

 北朝鮮のミサイル、直近で日本上空を飛び越えた「火星13号」のような大陸間弾道弾(ICBM)は、早い話、積荷(弾頭)さえ除けばただのロケットだにょ。ミサイルの規模によるけど、「火星13号」は三段ロケット、まずは一段目のロケットで地上から発射され、二段目三段目で順次上空でのブーストを行って弾頭を軌道に乗せるにょ。
 発射段階で判明するのはあくまでも一段目のロケットの推力(エンジン出力)だけにょ。ロケットがどれだけ飛ぶかは、この推力と搭載燃料によるロケットの加速時間に負うところが大きいけど、一段目二段目三段目それぞれの推力と加速時間のうち、発射時点で確認できるのは一段目の推力だけにょ。一段目の加速時間や二段目三段目の推力と加速時間は継続して観察していないと判明しないにょ。
 もっとも、ミサイルの安定運用という点から考えると一段目の搭載燃料は発射のたびに大きく変えたりはしないだろうから、ある程度は予測できると思うにょ。また、二段目三段目の推力も性能が安定してるなら、過去の事例から予測は可能にょ。問題は三段目の搭載燃料。これはそれこそ、どこを目標に発射するかで違ってくるから、発射毎にバラバラで当たり前。結局のところ、三段目の加速時間を観測し続けていないと、どこに飛んで行くかは正確には分からないって話だにょ。

 ま、これが実戦配備されて固定的に狙ってる目標があるなら、その目標に向かって飛んでくるって予想はつくけど、現状の北朝鮮のミサイルはあくまで発射実験であって、固定的な攻撃目標があるわけではないから、そんな予想もできないにょ。

 とは言え、現状の大雑把過ぎるJアラートの警報が、あれで良いとは言えないにょ。確かに発射直後の第一報はあの程度で仕方がないのだけど、昔の空襲警報じゃないんだから一報出してお終いじゃなく、1分毎に最新の観測結果に基づいた最新情報に更新して通知されるべきかにょ。

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「度し難い」言葉の話にょ

2017/09/08 12:50
 日本語に限らす、言葉というのは日々変遷するものにょ。使われる表現にも流行り廃りがあって、それは単に一過性の造語や刹那の流行語に限るものではないにょ。
 最近、こと気になってるのは「度し難い」という表現かにょ。言葉自体は古くからあるものだけど、マンガやアニメのセリフに頻繁に出てくるようになったのは、ここ10年くらいの間だと思うにょ。きっかけは何なのかは知らないけど、ネット時代の特性によりあっという間に使用が広まったということかにょ。

 あすかがこの言葉に違和感を覚えるのは「どしがたい」という読み方だにょ。「度」を「ど」と読むのは音読みであって、単語(漢語)の一部だとか、あるいは角度や温度の単位に用いられる場合だと思うにょ。「度す」と書いて「どす」と読む表現が他では一般的でない以上、スマートな日本語ではないにょ。
 もちろん、日本語には湯桶読みとか重箱読みという漢字の音読みと訓読みを混在させた読み方があるけど、それらは単語の表現として和語と漢語を組み合わせたものであり、音読みを動詞や形容詞のような用言として使用したものではないにょ。

 和語(大和言葉)として「度す」という表現が一般的でない以上、その由来は何らかの外来文化に関する専門用語と考えるのがいいかにょ。
 そうやって見付けたのが「縁なき衆生は度し難し」という言葉にょ。これは「仏の教を信じない者は救われない」という意味の法華経の思想を語ったものらしいけど、出典は江戸時代中期の『諸芸袖日記』という浮世草子らしいにょ。ここで「度す」という言葉は「(悟りを開いて)仏(の思想)に救われる」という意味合いで用いられているにょ。

 つまり「度す」というのは一般的な日本語表現ではなく、仏典の思想を表すための専門表現にょ。そこで大和言葉の訓ではなく、音読みそのままで動詞として使われているという感じだにょ。
 ところが「度す」という単体の表現使用が無いまま「度し難い」という表現だけが切り取られて、ここ近年で多用されているから違和感がハンパないのだけど、なんかそれっぽい表現だけ嬉しそうに使ってるという意味では、(やたら魔術表現を多用したりする)一種の「中二病表現」と言った方が良いのかと思うにょ。
 そんなわけで、この「度し難い」という表現も、やたら古典に詳しいオタクキャラだったり中二病キャラが使ってるなら違和感ないけど、頭の悪そうな格闘系の主人公キャラが叫んでたりするのはやっぱりどうかと思うにょ。

 ちなみに「度」がどうして「仏に救われる」という意味になるのかというと、「度」と言うのは昔の仏典ではしばしば「渡」の代わりに用いられていたにょ。そこで、煩悩の川を渡して(悟りを開いた)彼岸に送り届けるという意味から、仏教的に救われるという意味合いに用いられているにょ。
 そういう意味では「度し難い」を「どしがたい」と読むよりも「わたしがたい」と読んだ方が本来の意味を表しているにょ。もっとも、現代のマンガやアニメの用例から見た場合は「ゆるしがたい」の方が的を得ているように思えるけどにょ。


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