結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)

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zoom RSS 教育勅語を現代語訳してみたにょ

<<   作成日時 : 2018/10/11 17:46  

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 定期的にポリティカルコレクトを弁えてない無能政治家が不用意に口にし、アホウヨ明治原理主義者たちが手放しに賞賛し、アホサヨ反日活動家が脊髄反射的に罵り叫ぶ話題の一つが、この教育勅語にょ。
 あすかは教育勅語そのものには何の感情も抱いていないので、歴史の資料程度なら学校教育で触れるのには何の問題も無いと思うけど、これをそのまま道徳の教材に使うと言えば、そりゃちょっと待てとしか言えないにょ。

 まず、教育勅語が作られた時代と現代とじゃ社会背景が違うし、道徳に求められているものも違うにょ。そもそも(戦前は道徳教育に使われていたとはいえ)教育勅語そのものが道徳の教材として作られているようにも思えないからにょ。

 で、教育勅語の中身ってどんなものかってのを色眼鏡付けずに原文から現代語に訳してみたにょ。
 日本語の文章は文語表現とか大和言葉主体のかな文字表現とかで修飾表現がいろいろ違ったりするけど、江戸時代半ばから現代まで基本的なところはほとんど変わってないから、普通に読めば普通に意味がわかるにょ。

 私天皇が考えますところ、皇室の祖先が国を作り上げていくにあたって深く心がけていたのは、世の中に広く徳を行き渡らせることでした。
 臣民の皆が天皇によく忠義心を持ち、父祖に孝行心を持つことで、たくさんの心を一つにして代々美徳を持って過ごしてきたこと、これこそが日本の国の形の真髄であり、教育の目指すべきものがここに在るのだと思います。
 あなたたち臣民は両親を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は互いに仲睦まじく、友人を信じ合い、慎ましくして利己心を抑え、博愛の心を周囲に向け、教養を学び、技能を身に付け、それをもって知能を高め、徳を修め、率先して公益に尽くし、社会のための仕事を成し、常に憲法を尊重して国法に従い、国家の急務に際しては義勇心を持って、未来永劫続くこの国のために天皇を手助けしてください。
 このようなことを成し得た人は、その人ひとりが私の忠義な良き臣民であるのみではなく、あなたを育てた祖先の遺風をも顕彰するに値することです。

 こういう臣民の在り方は、まさに皇室の祖先の残された訓えであり、その子孫である私が臣民であるあなたたちと一緒になって遵守していくべきところです。
 このことを歴史を顧みて誤ることなく、これを場所を問わずきちんと実施し、私はあなたたち臣民とともに常に胸に刻みつけ、皆が徳によって一丸とならんことを真に願っています。

明治23年(西暦1890年)10月30日
睦仁(天皇御璽)


 これは何かというと、大日本帝国憲法の発布に合わせて(外見の基本規定である憲法とは別に)国民の内面的な心掛けの在り方を、こうあってほしいと教育にかこつけて語ったものだにょ。
 この時点で具体的に、これを暗記させて道徳教育に利用しようなんてことは端っから考えられてなく、どちらかというと、全国民に語りかけた上で、学校教育や家庭教育をする立場の人が考慮してほしいって感じにょ。
 はっきりいって、安直に生徒にこれを暗記させてる時点で、学校側の手抜きに他ならないし、教育勅語の目的そのものが失われてしまってるにょ。いつの世の中も下っ端官僚はアホで使い物にならないにょ。

 そもそも暗記を目的にしたものなら、誰だって箇条書きでもっと韻律を配慮した文章を作るにょ。例えば五箇条の御誓文みたいに。はっきり言って、こんな練れてない文章を暗記させられるのは苦痛でしかなく、意味まで頭に入らないにょ。

 じゃ、この教育勅語って何のために作られたのかというと、西洋におけるキリスト教的倫理観と同等のものを日本の国民に持ってもらうためだにょ。
 明治政府は近代化のために西洋のいろんな制度を導入して日本の近代国家を作り上げていったけど、その最終的な仕上げというのが明治憲法の発布だにょ。明治憲法にはドイツのビスマルク憲法が大きな影響を与えたと言われてるけど、ドイツに限らず西洋諸国の憲法の前提にはキリスト教的倫理観というものが不文律として存在してるにょ。ところが、キリスト教の伝統のない日本で明文化されただけの憲法を導入しても、それは絵に描いた餅で、実効性が伴わないことが危惧されたにょ。
 そこで、明治の元老はキリスト教的倫理観と同等のものを日本の国民に身につけさせるため、儒教的要素を取り入れた教育勅語を作ったのだにょ。
 だから、これは道徳教育の基本方針であって、けっして具体的な教材なんかではないにょ。だから、エッセイに近いような天皇の感想的な文章で綴られてるにょ。

 本来ならこの教育勅語をもとに、日本人にとってふさわしい道徳(倫理観)というものをきちんと研究して、そこから具体的な道徳教材を作るべきものなのに、その手間を省いて安直に暗記させることに終始したりなんかするから、昭和になる頃には中途半端な倫理観しか持たない連中が国家の高官に集まってしまって、負けがわかってる戦争にみすみす飛び込むというマヌケなことをやらかしてしまったのだろうにょ。

 あと、原文に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分があって、よく「国家の危機の際には天皇のために戦って死ね」とか解釈されるんだけど、これはそこまで直接的なもの云いじゃなく、「緊急事態のときには私事よりも国家のことを優先して助けてほしい」という程度の意味じゃないかと思うにょ。

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