結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)

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zoom RSS 「度し難い」言葉の話にょ

<<   作成日時 : 2017/09/08 12:50   >>

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 日本語に限らす、言葉というのは日々変遷するものにょ。使われる表現にも流行り廃りがあって、それは単に一過性の造語や刹那の流行語に限るものではないにょ。
 最近、こと気になってるのは「度し難い」という表現かにょ。言葉自体は古くからあるものだけど、マンガやアニメのセリフに頻繁に出てくるようになったのは、ここ10年くらいの間だと思うにょ。きっかけは何なのかは知らないけど、ネット時代の特性によりあっという間に使用が広まったということかにょ。

 あすかがこの言葉に違和感を覚えるのは「どしがたい」という読み方だにょ。「度」を「ど」と読むのは音読みであって、単語(漢語)の一部だとか、あるいは角度や温度の単位に用いられる場合だと思うにょ。「度す」と書いて「どす」と読む表現が他では一般的でない以上、スマートな日本語ではないにょ。
 もちろん、日本語には湯桶読みとか重箱読みという漢字の音読みと訓読みを混在させた読み方があるけど、それらは単語の表現として和語と漢語を組み合わせたものであり、音読みを動詞や形容詞のような用言として使用したものではないにょ。

 和語(大和言葉)として「度す」という表現が一般的でない以上、その由来は何らかの外来文化に関する専門用語と考えるのがいいかにょ。
 そうやって見付けたのが「縁なき衆生は度し難し」という言葉にょ。これは「仏の教を信じない者は救われない」という意味の法華経の思想を語ったものらしいけど、出典は江戸時代中期の『諸芸袖日記』という浮世草子らしいにょ。ここで「度す」という言葉は「(悟りを開いて)仏(の思想)に救われる」という意味合いで用いられているにょ。

 つまり「度す」というのは一般的な日本語表現ではなく、仏典の思想を表すための専門表現にょ。そこで大和言葉の訓ではなく、音読みそのままで動詞として使われているという感じだにょ。
 ところが「度す」という単体の表現使用が無いまま「度し難い」という表現だけが切り取られて、ここ近年で多用されているから違和感がハンパないのだけど、なんかそれっぽい表現だけ嬉しそうに使ってるという意味では、(やたら魔術表現を多用したりする)一種の「中二病表現」と言った方が良いのかと思うにょ。
 そんなわけで、この「度し難い」という表現も、やたら古典に詳しいオタクキャラだったり中二病キャラが使ってるなら違和感ないけど、頭の悪そうな格闘系の主人公キャラが叫んでたりするのはやっぱりどうかと思うにょ。

 ちなみに「度」がどうして「仏に救われる」という意味になるのかというと、「度」と言うのは昔の仏典ではしばしば「渡」の代わりに用いられていたにょ。そこで、煩悩の川を渡して(悟りを開いた)彼岸に送り届けるという意味から、仏教的に救われるという意味合いに用いられているにょ。
 そういう意味では「度し難い」を「どしがたい」と読むよりも「わたしがたい」と読んだ方が本来の意味を表しているにょ。もっとも、現代のマンガやアニメの用例から見た場合は「ゆるしがたい」の方が的を得ているように思えるけどにょ。


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