結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)

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zoom RSS 新しい情報量の単位にピコビット、ピコバイトを提唱するにょ

<<   作成日時 : 2010/08/03 23:17   >>

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 現代社会は情報の氾濫が特徴的だけど、具体的に社会の情報がビットなりバイトなりの情報量で表されているわけではないから、具体的なイメージはわきにくいにょ。逆に、どんな意味の無い情報量でも具体的な数値で示されると説得力があるように思えるにょ。

 貨幣経済ではハイパーインフレが起こると貨幣価値が暴落して、あっという間に物価が天文学的な数値で表されるようになってしまう(例:ジンバブエ・ドル)けど、それは情報の価値も同じにょ。たとえば縄文人の持つ情報と現代人の持つ情報とでは同じ情報量でも情報の価値は全然違うはずにょ。情報のあふれる現代では、個々の情報の価値は縄文人の情報に比べて微々たるものに過ぎないはずにょ。

 向こうの森にシカがいる(縄文人の情報)
     ↑ 価値が大きい
 向こうの森にシカがいる(鎌倉武士の情報)
     ↓ 価値が小さい
 向こうの森にシカがいる(現代人の情報)

 狩猟採集民族である縄文人は生きる糧としてのシカの情報に大きな価値を見出すけど、ほとんどの現代人にとってシカがどこにいるかどうかなんてことは生きる上ではほとんど意味の無い単なる無駄知識に過ぎないにょ。鎌倉武士にとっては生きる糧というほどの価値は無いけど、武芸を養うための狩猟の対象としてぐらいの価値はあるにょ。

 そんなわけで、たとえ同じ情報であっても情報価値というのは異なるものであるけど、情報価値を直接表す単位というものが存在しないにょ。たとえば1メガビット何円とか1ギガバイト何年とか言っても、それは多くの場合、単に半導体メモリやハードディスクの工業製品としての価値であって、それは単なる容れ物の値段に過ぎず、中身の情報の価値を示したりはしないにょ。
 情報の価値が明示的に示されないというのは、実は大きな社会問題になっているにょ。インターネット時代になって何でもデジタル化してしまえばタダで手に入れられるという幻想だにょ。たとえ無料配信される動画であれ、ニュースサイトのニュース記事であれ、情報にはその情報が持つ意味、その情報が提供されるためのコスト、その情報に付随する諸々の権利などから価値が規定されるべきであるけど、明示的な価値基準が無いから利用者は極限まで無償を迫り、提供者は極限まで値段を跳ね上げようとするか提供を拒もうとするにょ。
 ま、必ずしも情報の価値というのは情報のサイズに比例するものではないから、情報量に対して単位当たりの価値というものを想定しても仕方が無いのだけどにょ。中身に関わらず情報量のみが価値になるというのは携帯のパケット料金みたいなもので、これは要するに半導体メモリやハードティスクの値段と同じ、単なる容れ物の値段に過ぎないにょ。むしろ、情報量だけで決められないところに情報の価値があるということが言えるのかもしれないにょ。

 とはいえ、縄文人と現代人にとっての情報価値の違いとかいう、個々の情報の価値ではない全体的な情報価値というものを考えるなら、情報量そのものと相関関係を持つ価値単位というものを想定しても良いだろうにょ。
 ここで、単位情報量辺りの情報価値の平均をP、個人が生涯に受け取る情報量をMとすると、人が生涯で受け取る情報価値の総和Sは

  S = P × M

で表されるにょ。
 仮に人にとって生活に必要な情報により大きな価値があると考え、それ以外の情報の価値は無視出来るものと考えると、有効な情報価値の総和Sは個人の人生の価値そのものであり、時代を問わず常に等しいと考えることが出来るにょ。(早世したり、生涯寝たきりで情報とは無縁の人生とかいう場合は除く)
 そこで、Aという時代の単位情報量辺りの生活に有用な情報価値の平均をPa、個人が生涯に受け取る生活に有用な情報量をMa、Bという時代の単位情報量辺りの生活に有用な情報価値の平均をPb、個人が生涯に受け取る生活に有用な情報量をMbとすると、

  Pa × Ma = Pb × Mb = 一定

という、単位情報価値と情報量は反比例するという関係が導き出されるにょ。ここでは時代による平均寿命の差による生涯情報量の差異は単位情報価値の差異によって十分吸収されるものとして考えているにょ。

 そんなわけで、情報過多の現代社会の単位情報価値は時代とともに双曲線に沿って下がってるものと考えることが出来るにょ。ところが、この単位情報価値というものがどこにも規定されないから人は情報の価値について客観的な判断が出来なくなり、勢い情報量が多いこと自体が価値があると誤解してしまうにょ。過度な情報量はその情報の価値を下げてるだけとは気付かないにょ。とはいえ、希少価値を狙って情報の流通を抑えるのも、情報の有効利用を阻害して却って情報の価値を下げるだけなので賢明ではないにょ。
 そこで、単位情報価値を加味した相対的情報量の単位を用いることによって情報の価値を情報量で比較できるようにするにょ。

 今、単位情報価値1に対して1兆分の1の単位情報価値しかない情報の相対的情報単位をピコで表すことにするにょ。
 この1兆分の1の単位情報価値しかない情報の1バイトを1ピコバイトに置くと、単位情報価値1の基準情報の1バイトは1兆ピコバイトで表されるにょ。これなら情報の価値は一目瞭然にょ。
 1バイトといえばASCII文字1文字の情報量だけど、これが1兆ピコバイトで表される世界の1ピコバイトの情報量ってどんなのだろうかにょ? PCも32兆ピコビットCPUとか、500垓ピコバイトHDDとかいうと物凄いスーパーマシンの気がするにょ。

 ま、ピコというのは語感がかわいいから持ってきただけで単位は何でもいいけど、いくら情報インフレと言っても生活に有用な生涯情報量が1兆倍とかいう極端なものは(比較対象がホモサピエンスの範囲である限りは)ないだろうと思うにょ。さらにいえば現代社会の情報過多の大半は生活に無用で価値が無いと切り捨てられる部分だろうとは思うから、倍率はさらに小さくなるにょ。
 ピコは数字のお遊びに過ぎないけど、ミリぐらいだったら十分あり得そうな気はするにょ。半導体メモリのビットに1が立つと1ビットの情報量だけど、これが1ミリビットだとどれくらいの情報量かというと、DRAMのビットのON/OFFの電位差を1000で割った値……というものでもないにょ。

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