結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)

アクセスカウンタ

zoom RSS 唐生智と仏教研究の話にょ

<<   作成日時 : 2009/05/13 23:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 別に大して学問的な話をするわけじゃないにょ。

 唐生智というのは日中戦争の南京戦当時の中国側の司令官にょ。南京を放棄して逃げようとする蒋介石に南京の死守を申し出て残り、日本軍の開城要求を拒絶して市民を巻き込んだ市街戦に突入するも自軍不利と見るや部下の将兵を置き去りに自分だけ南京を逃げ出したという……こういう指揮官の下では絶対に戦いたくないという軍人の代表格の人物だにょ。

 で、この唐生智のWikipediaの項目を眺めてたら気になる記述があったにょ。

唐生智 - Wikipedia
その後、唐生智は湖南で何もせずに仏教学を研究していた。

 中国語版翻訳の項に書かれてる南京戦後の話なんだけど、これは何だろうかにょ?
 そのまま読めば、軍務を放棄して趣味の仏教研究に没頭してたという風にも解釈できるんだけどにょ。ま、当時の国府軍の軍制は知らないから、唐生智は司令官と言っても蒋介石支配下の国民党正規軍の司令官じゃなく、軍閥実力者の1人に過ぎなかったから、戦いの後で何をしてようが勝手だったとかいう話かも知れないにょ。
 でも、ここで考えなくてはいけないのは、この記事は元々は中国語版Wikipediaの記事であって、社会主義国の中国では宗教に関わるという行為は(文革時代ほどではないにしても)ネガティブな意味を持つということにょ。また、唐生智自身は戦後は蒋介石に付かずに共産党政権で高官に上り詰めてるという事実にょ。

 ここで興味深い比較対象があって、南京戦の攻撃側である日本軍の司令官であった松井石根のことにょ。南京戦後に退役した松井大将は興亜観音を建立し、日中双方の犠牲者を悼み、冥福を祈っていたという話にょ。

 問題の唐生智の記事だけど、「仏教学を研究していた」じゃなくて「仏教に帰依した」という記述だったらかなり印象は違うと思うにょ。もっとも、当時の中国での仏教がどんな宗教的位置付けにあったかはわからないけどにょ。
 でも、今の中国じゃ、政府の高官にあった人物を「仏教に帰依した」なんて書けないだろうとは思うにょ。そこで「仏教学を研究していた」という、あたかも客観的に距離を置いてるかのような表現になってる可能性もあるのかなという憶測が出来るかも知れないにょ。

 ところで、この唐生智の項目にはもう1つ興味深い記載があったにょ。
その無責任と劣悪な統制能力が糾弾され、唐生智は12月18日軍法会議にかけられ、19日銃殺刑に処せられたと伝えられる(「朝日新聞」12月20日)。

 南京陥落直後の朝日新聞の記事らしいけど、いったい朝日はどこからこんなガセネタを拾ってきたんだろうかにょ? ま、これが事実なら、戦後に共産党政権で高官になった唐生智は別人ってことになるけど……

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
TweetsWind
唐生智と仏教研究の話にょ 結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる