結城あすかの毎日電波思考 (あすか日記)

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zoom RSS 個人思想の戦後責任論で国民全体を縛ろうとするなにょ

<<   作成日時 : 2009/04/24 22:34   >>

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 『カトゆー家断絶』(その筋では大手のリンク羅列型個人ニュースサイト)を眺めてたら、次のような記事へのリンクがあったにょ。

 『戦争を知らないぼくたちに戦後責任は存在するか?


 作家の山本弘氏が「謝罪する必要はない」と言ってることに対して、『戦後責任論』(高橋哲哉著、講談社学術文庫)の記述を引き合いに出して、戦後の日本は国民主権国家だから(戦争時の国家を引き継いだ国家主権者として)国民は(例え戦後の生まれであっても)戦争の戦争の戦後責任は存在すると言ってるにょ。

 しかし、この記事は山本氏の「謝罪する必要はない」という《責任》問題と、現在生きるもの同士としての被害者国家の国民からの問いかけに応答するという(おおよそ社会的なコンセンサスが得られているとも思えない)独自解釈された《戦後責任》という次元の違う観念を混同して批判してるようにしか思えないにょ。

 山本氏はインチキ科学とか予言書ブームとかで神経質過ぎると思うほどの反応を見せることはあるけど、昔の戦争責任に対して「謝罪する必要はない」というのは、国際的な戦争観念から至極当然の発言だと思うし、それゆえに「なぜこうもナイーヴになってしまうのだろう」なんて指摘されるようなものではないと思うにょ。

 国家間の戦争責任問題なんてものは講和条約とか平和条約とかそれに相当する国家間の取り決めで戦争状態を終結させた時点で(その条約を履行してる限りは)消滅するのが、近代以降の国際社会というものだにょ。国家の戦後責任があるとすれば、それはその講和条約なり平和条約の履行そのものであり、それ以外には存在しないにょ。
 ましてや、その講和条約や平和条約に規定の無い対戦国民に対する戦争責任なんてものは存在しないにょ。むしろ、規定の無いことで戦争責任を蒸し返そうとしてる行為こそが講和条約や平和条約の履行を蔑ろにし、国家や国民間の関係を戦争状態に戻そうとしてる行為だと言えるにょ。

 国家間の条約なんてものは政治的な解決であり、それ以外に道徳的に国民間の感情の解決を図らなければならないという意見もあると思うけど、問題が道徳的なものだというのならそれは個人問題の話にょ。
 要するに、対戦国には現在なお傷みを負ってる被害者がいるのだから、過去に戦争を行なった国の国民の1人として申し訳ないと思うのは、あくまで個人の倫理観なり感情の問題だという話だにょ。
 別に個人がどんな倫理観とか感情を持とうと、個人の活動範囲で行なってる限りは自由だと思うから干渉しようとは思わないけど、逆に言うなら、その個人の倫理観や感情を押し付けて周囲に干渉するのはやめろということだにょ。
 国民の1人として個人的な立場でいろいろ主張するのはいいけど、それを日本国民全体の責任論とかに持ってくるのが間違いだというにょ。

 対戦国の被害者に(条約規定以外の)戦後補償が必要だというなら、それはそれに同意する人々だけで個人的にやってくれにょ。そういう「良心的な」思想の持ち主が日本人の多数派だったら、義捐金とかにすればすぐにいっぱい集まるだろうにょ。強硬な反対派意見を切り崩して、日本政府に些細な税金を投入させるより、そっちの方が遥かに手厚い補償を行えるだろうにょ。

 ……というのは、従来の《戦争責任》についての話にょ。
 ここで触れられてる《戦後責任》ってのは、要するに昔の戦争の被害者国家の現在の国民からの、昔の戦争に対する道義的な反省とか、平和へのあり方への態度に対する問い掛けへの応答責任って話なんだけど……

 ……それって《戦後責任》と呼ぶのは単なる話の摩り替えであって、それはただの《国民間の現在問題》でしかないにょ。理屈の上では戦争に起因する問題ではあるけど、すでに過去の戦争自体に対しての問題とは無関係なことがらであることを、どうして自覚できないんだろうかにょ?

 戦争問題とか絡めると話が分かりにくいから別の歴史問題で例えるにょ。江戸時代の日本は封建国家であって、農民に対する年貢とかは支配する領主の経済状況とかによって違ってたにょ。
 明治維新で日本が中央集権国家になると国税は全国一律ってことになったわけだけど、江戸時代に比べたらとても税金がきつくなった地方もあれば、そうでない地方もあったはずにょ。じゃ、税金がきつくなった農民は被害者として、幕藩体制を潰した薩長の連中に、あるいはお前らが負けたからいけないのだと徳川家とかに補償を求めるべきだったのかにょ?

 理屈的にはいろいろ言えるだろうけど、こういうのは日本が敗戦国だったから言いたい放題だとか、戦後の経済復興をうらやんで分け前が欲しいとか、日本の「良心的な人々」がいくらでも反応してるからエスカレートし放題だとか、そういう部分を抜きにしても語れない問題であることを無視してはいけないにょ。

 中国問題で言えば、当時の中国は明らかに主体的に日本と戦争してるから一方的な侵略被害国とは言えないし、東南アジアの、たとえばインドネシアとかを持ってきても、当時は日本の交戦国であるオランダの植民地であって独立国でなかったということを忘れてはいけないにょ。
 日本とオランダの戦争で被害を受けるのは現地の人々にとっては不本意なことだろうとは思うけど、そもそもオランダの植民地になって自国の独立を保てなかったということに起因する自己責任の大きさを無視すべきではないだろうにょ。

 ちゃんと歴史を学べば分かることだけど、日本が独立を保てたのは別に僥倖が重なっただけというわけではなく、先人たちの多大な努力によって保たれてきたのを忘れてはならないにょ。別にインドネシアの人々がその努力を怠ったとかいうわけではないけど、日本人自身が先人の努力によって勝ち取った歴史の結果に誇りを持たずに、むしろ先人の努力を蔑ろにするごとき卑屈な態度でこれに迎合するのは如何なものかと思うにょ。

 実際のところ、60年以上も大昔に終わった戦争でいつまでも戦後責任とか言ってるのはアホだろうかと思うにょ。
 そりゃ個人思想でいろいろ語るのは自由だけど、それを日本国民全体になすりつけようとしたり、政治問題に転嫁するのはいい加減にやめて欲しいものだにょ。個人思想の問題は個人レベルで解決してくださいにょ。
 それとも、サンフランシスコ講和条約とか日中平和条約とかこれまでの政治解決を全部蔑ろにして、もう一度戦争をやり直しますかにょ。

(個人感情じゃ解決できない問題だからこその政治で、その解決結果が講和条約なり平和条約だってことをどうして理解できないのかにょ)

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